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モバイル移行計画。

ども。
どうしても放置気味なブログですが、久しぶりに。
備忘録的な記事ですが、格安SIMに移行する予定がある人には参考になるかも。

さて、まずは現状のモバイル機器情報から。

【端末】
①Nexus5
→2年前にYモバ新規で購入。約36,000円。
②Xperia A
→2年前ソフマップで中古購入。値段不明。
→受話スピーカーが故障、walkmanとして使用。
③アクセサリ
…モバイルバッテリー(Anker PowerCore 13000mAh)
…Bluetoothイヤホン(SONY)

【使途】
①Nexus5
・SNS/ニュースアプリ/Web閲覧/dマガジン
・スケジュール
・乗換案内/地図(ほぼ毎日数回)
・ポイントカード,銀行口座管理
・たまにツムツム程度のゲーム

②Xperia
・音楽、録音ラジオ、Podcast再生
・たまに動画再生(DL、nasneのTV番組)
※DLは自宅Wi-Fi環境下。

【回線】
・Yモバイル/プランS
(1GB+10分以内無料通話+Enjoyパック
(2,3回は容量追加購入,500MB/回)
→平均月額4,200円

【MNP乗換先】
・OCNモバイルONE(6GB/月)
(料金内訳)
基本料金 2,322
10分通話 918
OCN光割 -216
シェア 432
スマート留守電313/月
―――――――
合計 3,769

※3GBなら3,391
※42.5分/月以上で得になる。
※標準留守電なら324/月

[キャンペーン割引など]
・初月無料 -2,322
・2か月 -756×2
・初期費用3,240→252(ヨドバシ)
・MNP転出 3,240
―――――――
合計 -342

【新規端末】
…タブレット(ZenPad 7.0)
18,201円
http://kakaku.com/item/K0000841881/

【新しい使い方】
①メイン(Nexus)
→SNS・ニュース・電話

②サブ(ZenPad)
→音楽・radiko・動画・電子書籍・dマガジン
※基本は200kbpsモード


…また加筆予定。

2/11 追加
タブレット,7 or 8インチで迷い中。
比較ページ
MediaPad T2 8 Pro(20,741円)が有力かなぁ。

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決め手とは一体?

ども。
また急にブログを書いてしまう位の忙しさです。

今回思ったことは「人が納得する理由(きっかけ)」について。
あっ、んで、先にお断りですが、今回はいつもよりも(悪い意味で)気が乗っているので、こっから下はバリバリの書き言葉(常体のレポートみたいな語調)になりますんで。
もはや書く目的が精神衛生のためになっていますからね、ボクの落ち着く文体ということで。



 自分も含めて人は日々色んなことを決定しなければならない状況に遭遇している。
 この決定について、多くの人は主体的判断の結果として表現していることにしている場合が多い。それは、実際に決定が下されるまでの過程を大幅に無視する形でかもしれない。換言すれば、決定は主体的でなければならないと思っていたり、当然主体的であると思い込んでいたりする可能性が大きいということもできるだろう。
 決定には様々な段階が含まれ、「昼食に食べるもの」から「選挙の投票先」まであらゆる行動を決定することが求められる。この決定の対象者が自分(主体)のみであるのか相手(客体)も巻き込むのか、決定の対象時期が短期間なのか長期間なのかによって、その決定に係る要素の数は大きく変わるだろうし、それがいわゆる「悩みのタネ」の数だろう。
 悩みのタネを解決することで決定が導かれるが、実際には完全な解決に至る前のどこかの段階で妥協することが多いだろう。それは、現実的に完全な解決をすることが無謀であることを示している。完全性を評価するのは結果論にならざるを得ないため、必然的に妥協を迫られるのである。
 それでは「いかに決定するか」は「いかに妥協するか」と同義であることになる。そして、この妥協こそが人の決定の曖昧さを生んでいると思うのだ。
 たとえば、ある決定をするときに、それを決定することによってある目的は達せられるが、一方では意に反した結果を招いてしまうというジレンマを抱えているとする。この決定は他者も関わり長期的に影響を及ぼすような悩みのタネの塊だ。この問題を妥協すべく、決定者は考えられる手段をすべて尽くして理由を探しはじめるはずだ。このときの理由として頻繁に耳にするフレーズは「十分な時間を費やし…」「議論を重ねた結果…」「先例を参考にして…」等々だ。
 こうした理由に合理的根拠が含まれている割合は極めて低い。なぜならば、因果関係を前提とした立論ではなく、結果を導くことが目的化した際の手段としての後付けの理由だからである。妥協するために理由を探すため、理由に求められる条件は合理性ではなく、感覚的な納得をもたらせることである。決定者は既に合理的な理由を伴う完全な決定を諦めているために、感覚的に悪くなさそうというポイントを見つけることに作業を移行しているのだ。
 感覚であるから、コントロールしているのは論理や規則ではなく、倫理や感情ということになる。こうした部分で判断することが悪いわけではない。毎度の決定が冷酷かつ非情なものになっても合理性を持つ必要があるとは思わないし、おそらく結果論としては完全性を評価されえない決定になってしまうだろう。
 しかし、最も面白い(もしくは怖い)のは、こうしたコントロールしている部分に関して、多くの決定者は決定段階で無意識だということではないか。つまり、通る回路は違えど結果として得られるもの(感じるもの)というのは「納得」であるから、感覚的な判断なのか論理的な判断なのかがごちゃ混ぜになってしまう危険性を多分に含んでいるのだ。もしも感覚的に妥協した決定を合理的決定として捉えた場合、決定者はその決定に強い信頼を持っているだろうし、容易く変更や修正を施すことはないだろう。こうしてその決定は頑固なものになり、いつしか決定者を支配してしまう。
 いつでも自らの決定を見直すためには決定と同時に、どこかで、その決定をしたのは誰なのか、そしてその決定は必ずしも合理的なものとは限らないことをしっかりと刻んでおくことが必要だ。そうしなければ、日々の決定や妥協は、将来の自分を束縛して苦しめることになってしまいかねない。



…なんか、この文章30分も使わずに書いてるんですけど、どういう感情で書いてるんですかねw
まぁ、これでストレスは消されるので良いのでしょう。

では、また。







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久しぶりに書いた記事がヘビー過ぎてごめんね

ども。
ブログ書くと書きながら半年ですが、気が向いたので書きます。

んで、何を書く気になったのかといえば、ちょっと思うことがあったりして。
ボクは普段ほとんど本を読まないので、色んなことに対するボクなりの考えって、ざっくりとしているというか、つまみ食いの集合みたいな感じなんですよね。
んで、最近お勉強してる「情報技術者試験」っていうので、試験のイメージとは裏腹に組織やプロジェクトのマネジメントに関する知識が範囲になってるんですけど。
まず、それを読んでて思ったのは、「なんかのリーダーとかやったことある人なら、こういうのって経験則である程度は分かるよな」と。つまり、嫌でもそういうの考えてるはずだから、それを思い出せば、勘で解けたりするなっていう話なんですけど。
で、ちょっと話が変わるんですが(実は変わっていない!)、最近、ボクの周りでは「人に仕事を指示する役割の人」っていうのが何人かいるんですよ。それは、組織マネジメントだったりプロジェクトリーダーだったりするわけですが、どっちにしろ、ボクはそういう役割じゃないので、そういう人から指示を受けて仕事する「はず」なんすけど。まぁ、こんな文章を書いているあたりで、その指示が上手く出されていないのはお察しの通りです。

で、こっからが本題。
これはさっきも言ったボクの経験則的な感覚です。(大した経験じゃないですが、少なくとも今回のことには役に立ちそうなので)

まず、プロジェクトリーダーですが、これは目的がはっきりしてるんですよね。「プロジェクトの遂行」。それは、メンバーだって分かってるし。だから、実は1番ラクなんですよ、理論的には。
じゃあ、なんでうまくいかないかっていうと、仕事内容が多岐に渡って来ると、担当者に役割を分化しなきゃいけないわけですが、その過程で「情報共有の不足」だとか「相互認識の隔たり」が起きるんだと思うんですよ。つまり、「指示されてないよ!」とか、「それは指示がないとまずいでしょ!」ってな具合。でも、これって、最初の最初のプランニングで「ここまでにこれをやる」っていうマイルストーンをみんなで設定せずに、あとから必要になった人を追加する方式にしたせいで、起こってるんじゃないかと、少なくとも僕の周りでは。
例を挙げると「Web広報を展開しなきゃ!」⇒「担当の人を呼ぼう!」⇒「来月までにHP作って!」⇒担当「そんな急に言うなよ!」「先にプロジェクトの詳細を教えろよ!」みたいな。

じゃあ「組織マネジメント」の方はっていうと、組織ってのがややこしいですよね。
そりゃあ何かしらの目的(親睦?営利?連帯感?)はあるはずですが、そこのメンバーって、みんな同じじゃないと思うんですよね。会社だってバイトも正社員もいて、就業時間から責任の幅まで違うじゃないですか。それらを同じ感覚で束ねようとする人はいないと思うんですよね。
そう考えると、「組織大好き!」っていう人がマネジメントしようとすると、組織に非協力的に見える人は「即排除」ってなる危険があるのかも。
例えば、
Leader「この仕事できる?」
Member「他の用事があってできないです」
L「どうしてこっちを優先しないわけ???」
M「そういわれても」
みたいな展開。ボクが小学校のとき、校内のサッカー大会で我がクラスが優勝したんですが、そのときに冬休みの練習を塾の冬期講習があるって言って嫌がった子がいて、別にふつうの感覚の意見だと思うんですけど「なんてやつだ」「クラス優先だろ」的な空気が流れたんですよね。時として、担任までそういう空気を出したりするじゃないですか。あーいう閉鎖的な空間の中で、本来は意味のない組織を束ねるためには「目標」が必要になって、その「目標」のためなら個人の希望は無視できることが「組織の認識(=組織内のマジョリティ)」になった瞬間が一番危険で、閉鎖感を加速させてイジメとか脱退の原因になると思うんですよ。
だから、そういう本来は不必要なはずの「目標」を盲信する人が多数派になる前の状態を保ちたいんですけど、厄介なのはその「目標」をリーダー(さっきのサッカーの例ならキャプテンとか担任)が強く掲げているときですよね。まぁ、リーダーが組織の結集を目指すのはとても普通のことだし、それが仕事と思っているはずなので、たぶんよくあるパターンかと。「目標」に向かって舵を切った組織は、ちょっとても反れようとした人を乱暴に振り払ってしまいがちで、その結果、「そして誰もいなく」なっても困るじゃないすか。

…と、ここまで書いたらおなかがすいてきたんで、具体的な結論へはまた今度導くとして、「いかに組織をコントロールするか」が最近(そして当面)のボクの関心事だったりします。

ではまた。

P.S
久しぶりに書いた記事が長すぎる?
それはわかっています…
わかっているのに…

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リニューアルです。

新年度も近いので、ホームページもブログもきれいに一新しました。
ちょくちょく更新するのでよろしくどうぞ。

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